付喪神

陰の気より生じ、万物の法則に囚われぬ、人とは相入れぬもの。多種多様の姿と性質を持つ彼らを、我々は畏怖と親愛の情を込めてその名を呼ぶ。バケモノ・オバケ・アヤカシ・モノノケ・ヨウマ……それが、妖怪変化である。
妖怪の殆どが、1体1体独立した生態系化で進化・変化したかのような独自の形態であるものの、その性質・成り立ち等からいくつかの分類にわけられる。分類としては『妖怪図鑑』(安城市歴史博物館[1998年])における小松和彦氏提案の、生物・環境・現象など『自然』の存在が妖怪としての形に変化・具現化した『自然妖怪』・人が作った道具の変化としての『器物妖怪』・人そのものが超常化怪物化した『人妖怪』の3つへの分類が有名(らしい)且つ解りよく優れていると思われる。
上記の分類は妖怪が「存在するもの」と前提した上での分け方であり、これとは別の考え方、つまり哲学・民族学・宗教学的な立場から分類整理すれば、「神道以前の古い神々が宗教的勢力争いに敗北したことによって妖怪化したとする存在」・「怪現象の呪術的解説として生まれた存在」・「小説や絵画に登場するキャラクターとして創造主が独自に、または元あったものを変化させ新たに創作した存在」というように分けることもできるが、ここではあくまで、妖怪を概念や文化の形態として考えず、「そこに存在する」モンスターとして、小松先生の分類を主として話を進めることとする。
幼少の頃から、水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」や藤田和日郎の「うしおととら」といった漫画や、鳥山石燕の「百鬼夜行」などの絵画、民話や説話・昔話、小泉八雲の「怪談」などの文学作品など、様々なメディアで慣れ親しみ、心惹かれていった妖怪変化。その成り立ちや付随する物語、様々なものが、惹き付けられた要因となったわけだが、その最たる原因となったものといえば、やはり妖怪たちの造詣そのものといえるだろう。
形無い現象を、畏怖やある種のあこがれといった感情を媒介に妖怪としてのあたえられた姿形。人間の生の感情から「ぬるり」と生み出された形が、私の心を掴んで離さなかったのだ。恐ろしさの中に滑稽さが紛れていたりするその独特な造詣は、幼い私にも馴染みやすく、受け入れやすいものであり、妖怪変化の存在が、不可思議なもの・自然ならざるもの・全ての怪異に対し興味をもった契機となったと言えるだろう。
千差万別のその姿。獣の混じったもの、人を模したもの、概念のイメージによる可視化、見間違いに恐怖が味付けされねじ曲がった姿等々、種により様々な姿を持っているが、造形の自由度・おもしろさで言えば、やはり付喪神だろう。
付喪神とは狭義では古くなった器物が妖怪化したものであり、広義では歳を経た動植物の妖怪化も含まれる。その姿は、妖怪化する前の姿に目鼻口手足を付けただけの陳腐な擬人化のものから、人の姿に一部だけ元の姿を残すもの、完全に新たな生き物として独自の生物としての姿を持つものまで、実に様々である。生活内の身近な存在のあり得ない混合体というものが、どこかちぐはぐで、滑稽でありながら、「見慣れているはずの物の異質感」が、見るものの心に拭うことの出来ない違和感と恐怖心を植え付ける。身近な存在であるからこそ、そこに感じる異質性は、より深く昏い闇を、人の心に落とす。人という物は「理解できないもの」に恐怖を感じる。知っていると思っていたものが、全く理解できないものだと解ったとき、その落差による恐怖の度合いというものは、計り知れない物があるであろう。
天狗や河童等、あまりにも有名になってしまった妖怪達に比べ、個々の知名度は非常に低い。しかし、人の居るところであれば何処にでも存在し得る「付喪神」は、常に人の恐怖の裏に存在する。キャラクターとしてではなく、恐怖の根元として、「付喪神」は妖怪の代表格であると言っても、決して過言ではないだろう。
また、「付喪神」とは、本来は「九十九髪」と書き、「九十九」とは「100ー1」…「百」という文字から一番上の「一」を引いた「白」の髪を持つもの、すなわち御髪の白くなった老人の事を指し、長年の人生により培った知恵・知識に富む者を表す言葉であった。そして、ここから「古き知識を持つもの」「古きもの」という意味が残り、転じて、「永く生きた獣」や「古道具」から生じた妖怪を指すようになったとか。その根底にあるのは、古き者を畏れ敬う心と、日本古来からの宗教観にも通ずる、万物に魂が宿ると考えるアニミズム。形は違えども、自然の中に在るとする八百万の神々と、同じ考え方が妖怪というものにもあるのではないだろうか。
日本において「神」というものが、どうにもならない「自然の驚異」の投影であり、畏れ敬い奉ることで厳しい自然と付き合っていくための存在と考えるのであれば、付喪神を初めとする妖怪というものは、恐怖という決して拭うことのできない根源的な感情と、折り合いを付け、付き合っていくための存在だと言えるだろう。
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